お芝居や本の中へふらふら迷い込みながら、気ままに生きる日常の記録。
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「落陽のパレルモ」
「落陽のパレルモ」

作・演出 植田景子

ヴィットリオ・ロッシ 春野寿美礼
父 マリオ・フランチェスコ・ディ・ドンブイユ公爵 萬あきら
母 フェリーチタ 華城季帆
幼少時代のヴィットリオ 野々すみ花

アンリエッタ・クラウディア・カヴァーレ ふづき美世
父 アレッサンドロ・ファブリッツィオ・ディ・カヴァーレ公爵 夏美よう
母 マリア・コンツェッタ・カヴァーレ公爵夫人 高ひづる
妹 マチルダ・コンツェッタ・アマーリア・カヴァーレ 桜乃彩音
妹 ベアトリチェ・ビアンカ・カヴァーレ 華耀きらり

ロドリーゴ・サルヴァトーレ・ファンティーニ伯爵 真飛聖

ヴィットリオの友人
カルロ 高翔みず希
ニコラ・ジロッティ 蘭寿とむ
リカルド 愛音羽麗
ルカ 桐生園加
ルチア 桜一花

1942年の人々
ヴィットリオ・ファブリッツィオ・ロッシ・ディ・カヴァーレ 彩吹真央
祖母 エルヴィラ・フェリーチタ・マリア・ディ・カヴァーレ 梨花ますみ
恋人 ジュディッタ・フェリ 遠野あすか




感想メモ。

*良かった人
ユミコ&あすか組
ひたすらお坊っちゃんで世間知らずで人生は薔薇色だと思っているヴィットリオ・F。
自らの血ゆえに幸せを諦めているジュディッタ。
2人の周りには誰も割って入れない愛の壁が張り巡らされていて、見ているとこっちまで幸せになれる、が、ジュディッタが時折覗かせる悲しげな表情が、その強固な愛さえいつかユダヤの血によって壊されてしまうのではないかという不安を感じさせて切なくなる。
甘く幸せな今と、その破滅を予感させるような微かな不安。
その少し不安定なバランスが、この2人をものすごく魅力的に見せていると思う。
多分この魅力は脚本ではなく2人の演技力に拠っているんだろう、ね。

季帆&野々組
季帆ちゃんの清らかな狂いぶりと、野々すみ花ちゃんの泣きがかなり見ごたえあり。
何も見ていないフェリーチタの澄んだな眼差しと優しい声。
隣にいながら決して自分を見てはくれない母への愛を募らせるヴィットリオ。最期まで、母は自分を見てはくれなかったという想いが、母を亡くしたヴィットリオの絶叫には痛いほどこもっている。

萬あきら様と季帆ちゃんのデュエットがなかったのが本当残念~~~
それさえあれば何度でも見たのに(結構本気)

見終わって思うに、花組さんは全体的に芝居が下手かと。
というわけで、これ以後はうっかり覗いてしまった花組ファンの方は見ない方がよろしいかと思います。
次に花組を見る時に読み返してみるあくまで自分用メモ。


花組ってすごく優等生的な組なんだなぁ。
皆、自分が確実にできる範囲内で仕事してる感じ。
誰か遅れたら可哀想だから、皆で手を繋いで仲良く一緒にゴールしましょう的な感じを受けた。
ここまでは皆できたから、これ以上いくとバランス崩れちゃうかも知れないから、これでやめましょう、って所で止まっているような。
和を重んじる、というのが花組の色なら、まぁそれはそれでいいんじゃないかと思います。
私の好みじゃないだけで。
でももったいないと思う。
もっとできるんじゃないの?って思う人がちらほらいたから。

一番もったいないと思ったのは、間違いなく蘭とむさん。
あんなにいい役なのに、あそこで止めてしまうなんてっ!
地団駄踏む勢いで、そこで止めちゃ嫌~~~と叫びそうだった。

蘭とむさんに聞いてみたい。

あそこまでしかできないのか?
そこまでにしろと言われたのか?
そこまででいいと思って止めているのか?

演出家指示なら仕方ないけど。

その昔(こらこら4年前ですよ)、「プラハの春」でヤン・パラフ(安蘭さん)が
「命を賭けて戦うものだけが、チェコスロバキアを本当のチェコスロバキアにできるんどぅわぁぁ~~~~」
と叫んで、心臓が破れるくらいの勢いで舞台を疾走していた(あくまで比喩です)のを懐かしく思い出した。
ああいう熱が放出されていたら、ニコラたちは芝居を締める重要な役どころとして、もっともっと目立てたのに。

ピッピが撃たれるシーンでさっぱり泣かなかったのは、たぶんピッピ役の子が下手だったのと、周りの人がこれまたあ~っさりとした演技をしていたせいでしょう。
人一人、しかも子どもが撃たれたのに、あれなのかぁ・・・

ついでに言うなら、蘭とむさんはマチルダ嬢にもっときつく言った方がいい。
「カビくさいパンすら手に入れられず、“ひもじい思いをしている”人がたくさんいるんだ」なんて遠回しに言わずに、「“飢えて死ぬ”ものがどれだけいるか」ってちゃんと言いなよ。
あのあたりに花組の紳士道を見る思いはしましたが、作品としてはきつく言った方が場面が締まると思うんだけどなぁ。
首飾りを差し出された時も、「施しは受けない」ってあんなに優しく言われても・・・

蘭とむさんの演技は、国を変えるんだ!という熱よりも、どうせ変わらないんだ、という諦めを強く感じてしまって残念。

*(ここから)演技というより演出に感じる疑問

女の子には優しく、という紳士的態度と、国を変えるという意志とは別物なのに、ニコラは甘すぎる。
この子(マチルダ嬢)は何にも悪くない、と思ってるなら、そもそも紳士的態度をとるなら、最初から女の子を攫わないで欲しい。

彼らの立場で言うならば、貴族は「貴族である」ということが罪なのだから。
だって真飛さんも言ってたよ。
「我々は「貴族である」ということが存在理由なのです」って。

「貴族である」ことが存在理由なら、やっぱり「貴族である」ことそのものが、ニコラたちにとっては罪なはず。
だからどれほど美しくて、どれほど優しくて、どれほど清らかな乙女でも、彼女は罪人。
贅沢な食事をとり、綺麗な服を着て、苦労することなく生きている。
搾取して生きているということが、その自覚はなくとも罪なんだと、ニコラは糾弾すべきだったのに。
働くことしか知らず、綺麗な服を着たこともない、女らしいことは何もできない妹のためにも。

首飾り差し出されたルチアも、「こんなものっ」って首飾りを投げ返して欲しかった。

マチルダ嬢が、「施しは受けない」と拒否されても、再び首飾りを差し出すのはいいと思ったけれど。
さすがお嬢様。
彼女には「物をもらう」のと「施しを受ける」のがどう違うのか分からないんでしょう。

だからこそ、ルチアには首飾りを拒否してもらいたかったんだけど。

景子先生の作品はどうもすべてを綺麗綺麗に纏めようとするばかりに、全体的な輪郭がぼやけている気がしてならない。
抑揚のつかない作品なので、もうちょいきっぱりとした演技をする組でやったら面白かったかも知れない。

それにしても、あの「プラハの春」で初舞台を踏んだ子(彩音ちゃん)が、もうトップ娘役になるんだなぁ。
時は流れる・・・

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